西川口駅周辺の歴史

川口市の西川口駅周辺を、横曽根地区と呼びます。
この地域は、1933年(昭和8年)4月に川口市に合併するまで旧「横曽根村※1」と呼ばれる村があったところです。

※1.徳川幕府直轄地、戸田領横曽根村(正保年間(1644年)にはすでに村が存在)

実際に西川口駅周辺と呼ばれる地域は、


西口の横曽根地区の一部(川口市西川口)

東口の並木地区の一部(川口市並木)

蕨市の一部(蕨市南町)

となります。

横曽根地区の略歴
・1889年(明治22年)横曽根村・飯塚村・浮間村が合併。北足立郡横曽根村が成立
・1923年(大正12年)サッポロビール川口工場進出
・1926年(大正15年)横曽根村大字浮間が横曽根村から分離。東京府北豊島郡岩淵町に編入
・1933年(昭和8年)川口町・南平柳村・青木村と合併。川口市となる
・1954年(昭和29年)西川口駅開業

西川口の風俗の町としての歴史
≪江戸時代≫
・岩槻街道(現122号)の宿場町(川口宿・鳩ヶ谷宿)として栄える(赤羽(岩淵宿)も同様)
・中山道(現17号)の宿場町(蕨宿)として栄える(板橋宿も同様)

西川口近辺は上記の宿場町の中間点という場所から花街(遊郭)として栄えました。
赤羽近辺も、岩淵宿・板橋宿のおかげで栄えました。

≪高度経済成長時代≫
その後、赤羽は歓楽街として栄ています。
西川口は川口オートレース場の最寄駅ですが、埼京線の開通する以前は戸田競艇場の最寄り駅でもあり、その帰りの客を当てにした風俗店が細々と営業していました。(当時からご当地流と呼ばれるサービスとソープランドがありました)

≪風俗全盛時代≫
歓楽街として栄えた赤羽は、高度経済成長時より性風俗店が多数乱立しましたが、1980年代から1990年代にかけての再開発でピンクサロン一斉摘発。それらの店舗が西川口へ移動しました。
赤羽で遊んでいた人たちが西川口に遊びにきます。
人が増えると飲食店も増えます。そうやって西川口は現在風俗と、飲食店がすごい街となっています。

この記事について

このページは、てつが1998年1月10日 00:00に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「お風呂屋(西口)」です。

次の記事は「[変な人々]叫ぶ小僧」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ

  • img
  • 2008
  • about
Powered by Movable Type 7.1